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Pineider

Pineiderの歩み - 選ばれ続けて230余年 -

Pineiderの歩み - 選ばれ続けて230余年 -

Pineider(ピネイダー)の誕生は今から230年余り前にさかのぼります。 1774年、創業者Francesco Pineider(フランチェスコ・ピネイダー)は、ルネッサンスの香りただようフィレンツェの街の中心、シニョーリア広場の一角、ミケランジェロのダビデ像が立つ建物の真向かいに、Pineiderの看板を掲げた最初の店を開きました。

この店は現在もなお残っており、創業以来多くの文化人達が行き交った場所として、歴史に刻まれております。

品質の良さと豊富な種類が評判を呼び、この店はたちまち有名店となりました

創業当初は、職人たちによる手漉き紙がPineiderの商品で、その品質の良さと豊富な種類が評判を呼び、この店はたちまち有名店となりました。フランチェスコ・ピネイダーは、アングロサクソンやゲルマン人に伝わっていた印刷技術を初めてイタリアに持ち込み、そのうえ様々な製造器材を開発するとともに、イタリアの金細工職人達の手彫り技術を活用することによって、それまでになかった緻密な石版印刷や銅板印刷を施すことに成功しました。
贅沢な手漉き紙を使い、エレガントな浮彫りとルネッサンス金細工職人によって刻まれる紋章を刻印したPineiderが作るレター用紙や名刺は、たちまちヨーロッパのブルジョアジーの間に広まりました。

19世紀前半

19世紀前半

19世紀に入ると、ペン、インクなどエレガントな文具類も手掛け、さらには、卓越した技術を持つフィレンツェの革職人を擁して革製品の製造へと商品ラインアップを拡げて行きます。
厳選された最高の革素材を使い、黒、茶、深紅、深緑色の書類カバンや旅行バッグを製造、それらに金のエンボスが施されて多くの価値あるコレクションが生まれました。

その当時、英国やフランス、ドイツのブルジョア階級の旅行者達にとって、フィレンツェはロマンチックな旅の終着地であり、その多くはPineiderにあこがれ恋しました。

ナポレオン・ボナパルトもPineider を訪ねた一人で、その他にも多くの詩人や作家たちがPineider を愛しました。
当時の常連客としては、スタンダール、バイロン、パーシー B.シェリー, エリザベス・ブラウニング、ジャコモ・レオパルディ、チャールズ・ディケンズなど歴史上の巨匠達の名が挙げられます。

19世紀後半

19世紀後半

フィレンツェはイタリアの首都となり、まさに世界の政治・文化・商業の中心地となりました。
Pineiderは、サヴォイ王室御用達となり、その頃にはシニョーリア広場の店だけでは手狭になりました。
1867年、Pineiderはフィレンツェのトルナヴォーニ通りにエレガントな2号店を開設、さらにローマへの首都移転にともない、サヴォイ王室の求めによって、ローマでも開業することとなります。

20世紀に入ると

20世紀に入ると

Pineider コレクションの幅はさらに広がります。
カードやレターセットなど創業以来の紙製品に加え、革製品、時計、万年筆など、数々の新しいアイテムが加わりました。 そして、イタリア文化の影響が国際的に広がるにつれ、Pineiderの愛好者も世界中の文化人へと広がって行きました。
そうしたファンの中には、エレオノーラ・ドゥーゼ、ガブリエーレ・ダンヌンツィオ、ルイジ・ピランデルロ、マリア・カラス、リズ・テイラー、ヘンリー・フォード、マレーネ・ディートリッヒ、ルドルフ・ヌレエフ、ルキノ・ヴィスコンティなど、そうそうたる名前があり、今日もなお多くの著名人たちがPineiderを愛し続けているのです。
Pineiderは、世界中の愛好者に対し、厳選された最高級の素材と一流のイタリア職人の技をもって、昔ながらの伝統を守り通すことによって応えることを使命と考える、純イタリア資本のブランドです。今日のPineiderは、革製品の最高峰ブランドとして、「イタリアの誇り」と称されております。
2001年と2009年、ジェノヴァとラクイラで開催されたG8イタリアサミット(主要国首脳会議)において、2回連続して、Pineiderの革製書類鞄が各国首脳への記念品として贈呈されました。

 

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